読書

2011-03-21

司馬遼太郎著『峠』感想文

関東も、まだまだ予断は許せないが、地震の揺れもようやく収まってきて、
日常生活的な心情を取り戻しつつある今日この頃。

だけど、被災地に住む方々は、まだ見つかっていない方もいるし、
復興という大きな課題が立ちはだかっている。

ボクらも、そういう意味で気を抜いてはいけない。
未曾有の災害をまだまだ風化させてはいけない。
被災者の方々とともに、
復興の道を歩んでいかなければならないことを
心に刻まなければならない。

さて、今日のお題『司馬遼太郎著『峠』感想文』について。

友人から「読め」と勧められ、初めて読んだ時代小説。

物語の舞台は幕末の日本。

幕末と言えば、坂本龍馬、西郷隆盛など超有名人は多いが、
本著の主人公は、新潟長岡藩の家老になった河井継之助という男が、
激動の幕末の歴史に巻き込まれ、どう抗い、いかに処していったかという話である。

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これが、wikipediaで拾ってきた河井の写真。

ふむ……読後、この感想文を書くために、初めてお顔を拝見したが、
なるほど本に書かれている通り頑固者のようだ。

いい面構えである。

実は、この本の感想文を書くのは、いまいち気乗りがしなかった。
それというのも、物語の展開云々というより、
本著の感想を述べるということは、
歴史上に実在した人物に対しての講評になるからだ。

それはどうにもボクの好みでない。

それというのも、歴史に名前を刻まれているほどの方をあれこれ言うのは、
ボクにはおこがましいという気持ちが働くのである。

また、歴史は戻らない。
だから、それについてあれこれ言っても詮無いことである、と思ってしまうのである。

ボクは、ボクらは、生きている以上振り返ることは必要ないと思っている。

ただし歴史から学ぶことはある。

それにしても偉人を評するなんて、やっぱりボクにはおこがましいよ。

なので、「映画を作るなら……」という視点なら、
河井継之助という男の物語を語れるのかなぁ……と思い、
そうさせてもらう。

だから、もしこの感想文を参考に、
「峠」を読もうかどうしようかと迷っている方がいるとしたら、
ボクの感想文はまったく役にたたない。

さてさて、上中下巻に渡る歴史絵巻。

大雑把に分けて、上巻は、志はしっかりあれど、長岡から江戸に出てきて、
特になにするわけでなく、どちらかと言えば、
傍観者のような立場で歴史をじっと見据えつつも、
ふらふらしているお話。

中巻は、激動の幕末の渦に巻き込まざるを得なくなっていく、というお話。

下巻は、いよいよ歴史の渦に巻き込まざるを得なくなってしまった河井がどう処するのかというお話。

物語的は、上巻は退屈だった。
主人公が能書きばかりたれて動かないからだ。

もし映画を作るとしたら、上巻で描かれていることは非常に重要なところなのだが、
いかに簡潔に河井という男の考えを伝えなければいかないのか?
という点に腐心するだろうと思われる。

中巻になると、物語は少し動く。
河井は幕末の熱に浮かされたような尊王攘夷派にも賛同せず、
かといって、幕府の統制もこの歴史の渦に巻き込まれやがて形を失うだろうと思っている。
そんな中で、河井はやがて幕府か尊王派かを選択しなくてはならない局面を迎えていく。
しかし、河井は、そのどちらも良しとしない。
独特の考えがこの男にはあり、河井は歴史が変わろうとするこの時代に、
長岡藩を武装して独立国家にするという夢を抱く。
これが大まかな中巻のお話。

下巻は、いよいよ河井は、「お前はどっちなんだ!?決めろ!」と選択を迫られ、
「自分はどちらにも属さず長岡藩を独立国家にする」というたまげたことを公言する。
しかし、そんな馬鹿げたことは許されることはなく、
河井の、戦いが始まる。

上中下巻をそれぞれまとめるとそんな感じ。

もし映画を作るとしたら、下巻を軸にして話を作るんだろうと思った。
特に、ボクが「面白い!」と思ったのは、
時勢を圧倒しつつある官軍に「長岡藩はどちらにも属さず独立する」と直訴の向かう場面である。

この場面の何が面白かったかと言えば、
河井は、この交渉が決裂すれば、
戦を始めざるを得ないという並々ならぬ決意を胸に秘めて官軍に向かう。
ところが、交渉に応じた官軍の幹部は、成績優秀者といえまだ齢24の若造だった。
当時の24と言えば、現代の24才とは違い、老成はしていただろうが、
河井から見るとひよっ子にしか過ぎなかった。
もっと高級官僚と交渉出来ると信じていた河井はがっかりする。
案の定、若造は河井の決意の真意を測ろうともせず、
「官軍に属するのか?賊軍に回るのか?」とニ極の平べったい論理でしか応じない。
河井の真意はいっこうに伝わらないのだ。
それでも、ここで短気を起こしたら、理想も何も現実化しなくなる、と河井は耐える。
無念、河井は結局その若造に「賊軍の烙印」を押され、
勝機の少ない戦に突入せざるを得なくなってしまうのだ。

映画にするとしたら、この場面がクライマックス前の盛り上げになるんだろうと思った。
その後、合戦シーンが入る。
心情的には、ここがクライマックスなんだろうね。

過ぎてしまったことに「もし」はあり得ないが、この場面を読んでいて、
「もし、ここで河井と交渉したのが、機智に富み、心の機微が分かる高級官僚だったら……」
と思わざるを得なかった。
「もし」そうだったら、少しは歴史は変わっていただろう。
日本の中にユニークな独立国家が存在し、
それは現代にどんな影響を与えたのだろうと思うと、
ちょっとワクワクしてしまう。

しかし、それは河井が見た夢物語に過ぎず、
叶うことなく無惨に砕かれた。

河井は決して夢想家ではない。
現実に裏付けされた確固たる信念の元に行動をしていただけだ。
ただマイノリティであったことは否めない。

河井は自分がマイノリティだという自覚はあった。
それでも、信念を貫き通そうとする姿勢はあっぱれである。
例え、それが時勢を圧倒することなく、滅びゆくしかないと思っていても……。

あ、そうだ。

こう書くと、いわゆる「滅びの美学」的に聞こえるかもしれないけど、
河井は決してそうではないのだ。
「生きるためにはこの道を選ばざるを得ない」というところが、まったく違う。

ここでちょっと自分を振り返ってみる。

ボクは、今更だけど、言うまでもなく「売れない映画監督」である(苦笑)
このブログのタイトル【 監督風味♪ 〜オチコボレ映画監督の再生(?)記〜 】というのは、
決して自虐ではなく、少々オーバーな言い方かもしれないが、
決意を込めてつけたタイトルなのである。

ボクは、「おくりびと」の助監督をしたあと、実は、ちょっと迷った時期があった。
「このまま売れない監督」として自虐的に生きていくか、
もしくは、いわゆる「堅気」になって生きていくかということにね。
ブレたんだな。その時は。

この際、今ここでなんでそう思ったか、迷ったかは省略させてもらうけど、
その時にね、決めたことがある。

「バカだって言われたっていいじゃないか。オレは、一生、映画監督だ」

とね。要するに開き直ったわけなんだけどさ(笑)
それ以来ブレはなくなった。

河井がすごいのは、物語が始まってから、終始ブレがないことである。

人は誰でも「ブレ」があって、
「自分はこんな風に生きてていいのだろうか?」と迷う。
ボクも、そういう時期を過ごしたからね。

歴史の偉人と自分を重ねあわせるのはおこがましいが、
先に書いた官軍に直訴する場面の河井の心情が痛いほどにボクは刺さった。
だから、そこをクライマックスに、と思うんだろうけどね。

そういえば、高校生の時に、
「男は自分の顔に自信が持てたら一人前だよね」
と、言われたことがあった。
これをボクに言ったのは、女の子なんだけど、
当時、ボクがそのことつきあっているとかそういうのではなく、
なんだろう……友達以上恋人未満といった関係のなんとも不思議な間柄だった。

いや……そう思っていたのはボクだけだったのか?(苦笑)
ぬぬぬっ!すると「友達以上恋人未満」なんて思っていたのは、
ボクのうぬぼれだったのか!wwww

ま、それはともかく。

これを書いててふとそのセリフを思い出した。

書くほどにだんだん感想文とはほど遠くなってきた気がする(苦笑)

ボクは人生に、ブレはない。

さてさて、顔に自信が持てているかと聞かれれば、
そうだな……顔なんてどうでもいい(笑)
投げやりにどうでもいいんではなく、
関心がないという意味でどうでもいいということね。

冒頭に貼付けた「河井継之助」の写真は実に意思に満ちた顔をしている。
ボクは今、もし写真を撮ったらこんなに意思の満ちたいい顔になっているのだろうか?

それは疑問ですがっ!(笑)

はてさて、おそらく、人は、遅かれ早かれ生きていく時、
ある瞬間ブレがなくなるときがあるんだと思う。
勿論、それは人それぞれなんだろうけど。
そして、ブレがなくなったときからその人の人生が始まるんだと。

本著は、それを再確認させられた作品である。

生きるってめんどくさくて大変だ。
だけど、ブレがない中で生きていくのは結構楽しい。


チャンチャン☂

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